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つれづれなるままに

旅とドラクエ10のダイアリー。大阪府南部と和歌山県のいいことも発信します。

4年ぶりの上京計画…成田空港に眠る廃墟

再来週、4年ぶりに上京することにしました。

 

とはいえ、2011年9月までは生活していた東京都。その後1年間は残務処理とかで東京と往復する生活でしたが、それ以来なのでずいぶん久しぶりになります。

 

東京にいたころは、あちこちに出かけたものです。中には、「普通行かないだろ!」といったディープスポットに出没したのを思い出します。

 

今回は関空と成田とのピーチで往復するので、成田空港近くのディープスポットを、写真と記憶をたどってご紹介いたしましょう。

 

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薄暗い地下の景色。謎のベンチ。奥に駅名が書いてありますが………

 

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な、成田空港駅!?

 

…………実はこれは初代の成田空港駅で、今は東成田という名前の駅になっています。

 

成田空港開港当時は空港建設反対派との過激な闘争がありました。管制塔が爆破されて開港が遅れたりもしたそうです。

 

東京の上野と成田とを結ぶ京成電鉄は、当然成田空港に乗り入れようとしましたが、当局が空港ターミナルへの乗り入れを認めなかったそうです。しかも京成電鉄の当時の状態や状況から、門前払いに近かったそうです。

 

この駅は、その当時の成田空港駅。なので、空港利用者は、ここからバスで空港ターミナルへ移動を強いられていたそうです。

 

当局はリムジンバスで十分と予測していたそうですが、首都高は大渋滞。諸外国からクレームが来るのは当然の成り行きでした。

 

京成電鉄も成田空港の開港が大幅に遅れたことから、過大な投資が大きな負担となって、倒産廃業寸前まで追い込まれたとも聞きます。

せっかく作った空港特急も何年も使えなくなり、しかも過激派に爆破され、使われないまま廃車になった車両もあったとか。

 

そんな成田空港のアクセスに当局が本腰を入れ始めたのは昭和末期。そして現在のJRと京成の成田空港駅が誕生し、この初代の成田空港駅は東成田と名前を変えられ、特急用のホームは閉鎖され、このような形になった、とのことです。

 

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閉鎖されているエリアの塀が低くてのぞき込むことができるのですが、「成田空港」を名乗った当時は盛況だったのかもしれない喫茶店の廃墟が哀愁を誘います。

 

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同じく塀の奥です。昔はここを、スーツケースを引いた旅行者が往復していたのでしょうね。

 

この東成田駅、今は電車で直接たどり着くのは難しくなっていますが、実は

 

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空港第2ビルから簡単に地下道づたいで行くことができます。

 

また、成田空港のターミナルビルを巡回する無料バスも経由しますので、成田空港で飛行機待ちの時間が余ってしまったときは、一度この成田空港の負の遺産であり、都会の廃墟である東成田駅へ行ってみるのも楽しいかもしれませんよ。

 

なお、極度の経営不振に陥った京成電鉄は、その後、傘下の会社が東京ディズニーランドの誘致に成功して巨額の収入を得られたこと、当局の変化で京成電鉄のアクセスに本腰を入れてもらえるようになり、今では新路線の開業で日暮里から30分台という驚異の速さで行けるようになったこともあり、経営も劇的に改善したそうです。よかった。

 

その成田空港に、再来週降り立ちます。

 

時間があれば、久しぶりにこの駅に行ってみるとしましょうか。